ブックタイトル国際印刷大学校研究報告 第13巻

ページ
12/40

このページは 国際印刷大学校研究報告 第13巻 の電子ブックに掲載されている12ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

国際印刷大学校研究報告 第13巻

10■国際印刷大学校研究報告第13巻(2013)に廃止されている。印刷物は統治に必須の情報・命令を告示する利用価値の高い道具である。中国の製紙法は企業秘密であったが,言語・民族・生活習慣の壁を越えて羊皮紙を使っていたサマルカンド(751年),バグダッド(793年),北アフリカ,スペイン(1150年),仏・独国,イギリス(1494年),米国(1690年)へと伝播されている。紙の価格は繊維原料に供給量の少ない古布が用いられ,手漉きで生産され高額であった。繊維原料は1846年に仏・独国で古布から供給量の多い木材へ転換された。洋紙は生産地が水と森林の豊富な北欧・米国へ移動し,量産され,価格が低下した。低価格は洋紙の用途を新聞・書籍の大衆化,拭く・包む日用品へ拡大させた。中国で発明された製紙法は2千年の年月を掛けて国境を越えて伝播,各国の需要,原材料,印刷技術の実情に合わせて改善され,情報網の支持基盤となっている。印刷文字の彫刻材料には切削が容易,平面が平滑,摩滅し難いおよび墨を吸収しない材料が適している。金属貨幣は鏨をハンマーで打つ方式で刻印されている。鉛と錫の合金が200℃前後の低温で溶融することは1430年頃から独・仏国の冶金技術者に知られている。独国の金属細工人Johann Gutenbergは活版印刷システムを構築し1455年に“42行聖書”を初印刷している。そのシステムは1470年に仏国へ導入されている。イングランド国のWilliam Caxton は1473年に仏語の“トロイ歴史”を英訳し,ベルギー・ブルージュ市で初活版印刷している。スコットランド国のWaterChepmanとAndrow Myllarは1508年に2つ折り紙の印刷物を出版している。W. Chepmanは貿易商人であり,出版資金の提供者である。A. Myllarは本屋であり,印刷技術情報を仏国から仕入れている。印刷史に名を残している先達者は,資本家かつ他国および異業種の最先端技術を見聞する機会に恵まれ,その活動記録が保存されやすい地位にある大商人,宮廷官僚,布教者である。活版印刷物は,16 ~ 18世紀の西欧諸国では封建君主と教会が支配している社会において現世重視の思想の普及,人治から法治へ転換,支配階級が独占していた商工業活動・海洋交易の開放に寄与している。子供向けの活版印刷本は1578年にロンドンで初刊行,1630年代に物語本が出版,18世紀から印刷本に絵筆で色づけされ,富裕層の子弟へ普及している。活版印刷技術は米国には1638年に導入されている。黎明期の活版印刷作業は,植字から摺り時のプレス,製本までの全工程が手作業で行われている。これらの手作業は,動力源が石炭を燃やして得られる蒸気エネルギーへの大転換(1811年),活字の大きさが一定に揃えられる金型枠の採用などにより次第に機械化されている。図1はスコットランド国の首都であるエジンバラ市とその周辺都市の印刷・同関連従業者総数の推定値(実線)を表す。従業者総数は産業革命期からビクトリア王朝期にかけて増大している。エジンバラ市には,印刷業の最盛時に従業者が約6万人,同市の労働者総数の2~3割を占めていたと推定されている。文章を清書するタイピストは1841年に3.3万人いる。植字工数は,石版印刷(1798年発明)を改良したフォトリソグラフィー版製作技術が発明された翌年(1921年)まで約6千人(うち女性3.2千人)いたが, フォトリソグラフィーが導入されると削減され,1950年代に零となった。製本作業は女子工員が印刷済みの紙を手で折り,揃え,落丁を検査,男子工員が裁断,その紙を上から梃子で押さえつけている間に女子工員が糸で縫う手作業従業者総数(最大6万人推定)タイププレス植字・図案・写植製本綴じ紙断裁17世紀 18世紀 19世紀 20世紀 21世紀出典:エジンバラ市People’s Story Museumのパネル説明文を参考に著者が推計。・独自技術深堀・サービス業化・再編成,連携,M&A・転載,転業印刷・同関連業の従業者数図1 英国・エジンバラ市の印刷・同関連従業者数の推移