ブックタイトル国際印刷大学校研究報告 第13巻

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国際印刷大学校研究報告 第13巻

17中国歴史年表を翻りながら印刷の歴史を考える(1)■物繊維を取り出して紙の製造に成功した。蔡倫はこれを時の皇帝に献上し、これが一般に蔡候紙として知られている。この発明がAD105年である。しかし、このような紙らしきものは以前からあったが、これは書写材料としての適性が全くなかったので、これを改良して、薄くして、平らな紙を作ったのである。紙の発明は、この改良技術なのである。宦官蔡倫は当時は官廷内で武器の製造工場の管理者であり、紙の発明以後は古典の校定事業の総裁をしていたという。校定とは「書物の字句などを比較して定めること」であるから、技術と文系領域の双方に明るい人であったに違いない。さて紙が発明されたが、それは書写材料として役立つ道は開かれたが、その当時印刷術は誕生していない。木版印刷の誕生はAD650年頃であるから、この間、紙の誕生から約650年、どのように活用されたのであるろうか。この期間の主な広報活動は全国各地の要所要所に石碑を建立し、国家の方針を広く知らしめることであった。これは石に文章を彫ることであった。この時代の人は、この手順をしっかりと熟知していた。その手順を書いてみよう。1.石に彫る文章を書家が原寸で紙に書く。2.専門家による校正を受ける。  少なくとも3人の違った目でチェックされる  (石に彫ってしまうと訂正が出来ない)3.校了となった紙(版下と呼ぶ)の裏側に糊をつけ石に貼りつける。  もしくは石の全面に水を与えて、紙の裏側を石に貼りつける。4.彫師が石に貼られた紙にしたがって、文字を刻して完成させる。このような手順で石碑を完成させる。紙の使用法の一つである。中国では隋の時代から科挙という試験制度があったが、そのテキストが石碑に刻されて公開されて、受験生はそれを見て、勉強したのであるが、次第にそれ等が拓本に取られて教材となった。拓本の誕生である。ここで拓本の取り方を書いておく。1.石碑の表面を全面水で湿らせる。2.その上に紙を貼りつける。3.墨を溶き、パフで石の表面を何度も繰り返し叩いていく。4.墨ベタ白抜の拓本が取れる。拓本を取る細かな技術はあるが、基本手順はこの通りである。このようにして、紙が活用されたのである。(四)印刷技術はいつごろ、どんな方法で生まれたか。このテーマでたくさんの文献を調べた結果、筆者なりの結論を持つにいたった。印刷方法は木版印刷である。中国では古来から石に彫る技術は確立していたので、石を木材にかえて彫ることはそんなに難しいことではなかった。木に彫って印刷板(版)を作る方法は唐代の初期、初唐から中唐の時代に出来たと考えられる。世界で最も早い印刷物は1974年西安から出土した唐代初期の(陀羅尼経咒)等の経文で、いづれも巻子本で字の痕跡もはっきりとして印刷されている。七世紀貞観年間に木版印刷が始まった。文献によると唐の太宗の皇后長孫が世を去って宮中で「女則」十篇が書かれ、これを見た太宗が大いにほめて、これを後世に戒めのために残さねばなら