ブックタイトル国際印刷大学校研究報告 第13巻

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国際印刷大学校研究報告 第13巻

18■国際印刷大学校研究報告第13巻(2013)ぬと梓の木に彫って、この「女則」を木版印刷せよと命じたとある。これを「梓行」と言う。これは、製版印刷という意味である。また唐の玄奘法師が貞観19年(645)インドへの求法の旅から帰国し、麟徳元年(664)の死まで普賢菩薩像を印刷して、毎年たくさん印刷して配ったと記されている。唐代に木版を彫った場所は今日考証したところでは、長安、洛陽、越州、揚州、江東、江西であり、最もすぐれたものは成都であった。〈女則〉と玄奘が印刷した〈普賢菩薩像〉は長安で印刷されたものである。八世紀には長安に書店(出版社)が出現した。これは本を印刷・製作・販売するところで、李家と大?家があった。木版印刷ははじめに民間で流行し、五代の後、民宗3年(932)、政府は木版印刷を採用し、このあと政府が製作する書籍も次第に増加し、政府は国子監に命じて書物を彫る仕事を取り仕切らせて、国子監に命じて書物の木版を管理させた。それを国子監本と言った。上述した内容から印刷のはじまりは木版印刷、その開始は初唐の618年から690年の間であったと推測している。唐の時代は618年から907年まで289年の長期間存続した。この期間の中で中唐の690年から705年まで15年間、中国史上はじめて女帝の武則天が周王朝を樹立した。夫である高宗が死去した後にその後を継いだのである。この女帝武則天はその在位期間中に書物の製作に大変興味を示し、その事業にさまざまな援助をしたと伝えられている。佛典の出版印刷にも貢献したといわれている。先に木版印刷の始りが〈女則〉であると書いた。これが年表上では貞観10年(636)となっている。残念なことに、これは記録だけで実物は現存しない。中国印刷史大事年表(張秀民 中国印刷史(下) 浙江古籍出版社)には次のように一番最初に書かれている。唐大宗梓行〈女則〉世界彫版印書之始確かに木版印刷は七世紀貞観年間に誕生したのだが、当時の印刷物を見るかぎり、印刷の品質は大変劣っている。当時はこの技法が始まったばかりで、文字を書く書き手も、木に彫る彫師も素人で、専門家はいなかったと考えて良い。また刷師も刷むらがあり上手くない。現在入手できる中国で刊行された印刷史関係書籍で見るかぎり、書体も文字の形も、大きさもばらばらで、版面の統一もない。彫も上手くない。次回に書くが、これ等の問題点の改善は宋の時代まで待たねばならない。(以下次号、参考文献次号)