ブックタイトル国際印刷大学校研究報告 第14巻

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国際印刷大学校研究報告 第14巻

20■国際印刷大学校研究報告第14巻(2014)形文字へ、そして甲骨文字へと発展し、このコンビネーションから漢字の原型が出来上がったものと考えられる。このような流れを見ると甲骨文字が発生する前に少なくとも10000年前後の期間があったと考えられる。この甲骨文字から更に1000年の時が移り文字が次第に広く用いられるようになり、それが漢字の成立となった。 紀元前221年に秦が建国された。始皇帝である。始皇帝の業績は中国全土を統一したことであるが、多くの業績の中で特記すべき第一はそれまで不統一であった文字を統一することにより、国内のコミュニケーションツールとしての文字を決定したことである。これにより、始皇帝の指示、命令系統が一本化され、統一管理に大きい革命を起こしたことである。 この時代には紙は存在しなかった。この時に記録材として用いられたのが、木片、竹片、帛(絹)であった。すなわち、これらに書かれたものを木簡、竹簡、帛書と呼ぶ。これ等は遺跡から出土し、貴重な考古学上の研究対象になっている。 さて現在知られている文字はいったいどのくらいあるか。中国の漢字典の最大のものには約6万字あるという。さすがに中国である。 因に世界で一番大きい漢和辞典は諸橋轍次が編集した「大漢和辞典」(大修館書店)全十三巻があり、これには親字5万字、熟語53万が採用されている。初版は昭和32年で、はじめて写植植字が採用され、文字盤製作は石井茂吉によるもので、印刷史上輝かしい業績である。(私はこの縮写版の第二刷昭和43年版を使用している。) 私達が読むことができる文字は約3000字程度であるから、存在する文字はその20倍。3000字のうち自由に書ける文字はそれ以下である。中国では漢字は1字1音であるから、6万字は普通の人は当然読み書きなどできない。(六)◯字書の出現 東漢の時代西暦100年。中国最古の漢字の字書が出来た。「説文解字」という。これは許慎によって著された。この字書には漢字9358字、異体字と1163字合わせて10521字を540部に分けられて、六書の方法によって形、音、義を解説したものである。 この分類の基本は今日の漢字字典の検索方法である部種別分類の原点となったものである。六書(りくしょ)とは漢字の成立と用法について六種の分類法①象形、②指事、③会意、④形成、⑤転注、⑥仮借(かしゃ)を示している。漢字1文字がどのようにして生まれたかをしる基本の分類法である。 勿論この説文解字が作られた時には紙は存在しなかったので木簡によって書かれた。この説文解字の収蔵文字数が9358字であることから、当時の文字種は10,000字程度であったと推測できる。この説文解字が出来上がる前の紀元90年-97年の間に造紙技術が蔡倫によって発明された。(七) 紙が作られるようになって、人間がそれを最初に使用したのは手書きによる文書であった。この手書文書は、記録の保存や通信手段として活用されても、それは個と個の間でしか活用できず、広く多くの人々への伝達手段にはならなかった。そこで多くの人々への情報伝達手段として石刻という手段が誕生した。即ちそれは大きい石に文字を彫り、多くの人の住む土地や広場に建立した。人々はそれを読んで情報を得たのである。中国では、この石碑がたくさん残されている。例をあげると論語等のテキストが石碑として彫られて建てられた。必要な人はそれを見に行って、当時から存在した書写材料を使って自分のものとしたのである。ところが人間とは間違いをするもので、書き移す時によく転記ミスをする。石碑と同じものを紙に移し取りたい。それを自分のものとして持ちたいとの願望が出てくる。その方法として拓本の方法が考えられた。よい拓本を