ブックタイトル国際印刷大学校研究報告 第14巻

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国際印刷大学校研究報告 第14巻

21中国歴史年表を翻りながら印刷の歴史を考える(2)■取る為には石碑の表面は平らでなければならない。石碑に文字を彫るときには正確な版下が必要で、それの制作技術とレベルが向上してきた。中国では隋の時代から官吏登用のための資格試験が始まった。これを科挙と言うが、この試験のテキストは、すべて石碑に彫られたもので、受験生はこれを読みノートして受験したのである。そのためにこの石碑の拓本が取られた。隋は581年から618年間であるが、この時は、印刷技術はまだなかったのである。このような苦労した年月が過ぎて唐の時代に入った。唐は618年~ 907年までの長期間存続した。(八) これまで石碑(石刻)、木簡、竹簡、帛の時代が続いたが、唐の時代に入って石に代わる材料として木を用いること、材料に木が用いられると、石に彫るよりも楽に出来ることがわかった。この技術が唐を不動のものにした。この木に彫ることによって、その上に墨をつけて紙の上に移して取る技術が生まれた。同じものを複製する技術が生まれたのである。中国印刷史年表によればそれは581-618年の間であると記している。だれが、どこでそれを実行したかはわからない。このことで世界最初の複製術としての印刷が始まったとしている。 最後に中国印刷史大事年表(張秀民・浙江古籍出版社(下)頁754)の最初は次の文章で始まる。 約636貞観十年 唐太宗梓行<女則> (世界雕版印書之始) この文章は、「636年貞観10年頃、太宗は<女則>を出版した。これは世界で最初の木版印刷である。」の意味である。ここで一人の重要な人物の事を書く。唐の時代の則天武后(625-705)のことである。高宗の皇后で中国史上ただ一人女帝となった女性である。在位は690-705の間で、この期間周王朝を作った人物である。この則天武后、別の呼び方は姓の武を入れて武則天ともいう。この人物は歴史上殷誉褒貶(きよほうへん)のある人であったが、実はその時代には珍しく本好き、読書好きで当時は珍しい木版刷りの刷り物を愛し、この技術をパトロンとして援助したのであった。また文字にも造詣が深く、自ら文字を作って発表し、当時の本にこの文字を使用させた。この文字を則天文字という。 武則天の短い在任中、木版印刷されるものには、強制的にこの使用を命じたのである。この時代の書物の時代考証をする時にこの文字が使われていると、これは唐(周王朝)の時に作られたものと判定できる。しかし、則天文字は、則天武后死去後は使用されなくなった。日本では、水戸黄門として有名な徳川光圀の圀の字は則天文字である。これがどうして使用されたのかはわからない。 歴史年表から印刷と書物の誕生がはっきりと見えてくる。それゆえ、常に座右に置いて歴史が語る事実を確かめるのは楽しいことである。引用文献・参考文献挿図珍蔵増訂版 中国印刷史(上)、(下) 張秀民 浙江古籍出版社中国出版史話新編 方厚枢 河南大学出版社中国出版史話 方厚枢 前野昭吉訳 新曜社則天文字