ブックタイトル国際印刷大学校研究報告 第16巻
- ページ
- 18/40
このページは 国際印刷大学校研究報告 第16巻 の電子ブックに掲載されている18ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 国際印刷大学校研究報告 第16巻 の電子ブックに掲載されている18ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
国際印刷大学校研究報告 第16巻
■国際印刷大学校研究報告第16巻(2016)リ西夏初代皇帝李何であったか?ゲン元コウ昊の主な政策は李元昊What is the main political policy of Li yuan hao西夏(The First Emperor of XiXia)?松根格Itaru MATSUNEまえがき宋(北宋と南宋)の時代10世紀から13世紀にかけて三つの国家が周辺に存在した。遼(契丹)と西夏と金である。ここで西夏に隣接する遼と金について触れておきたい。遼は契丹族が創建した国家で、その存続は916年から1125年まで209年であった。中国東北部のやりつあぼき契丹族の太祖耶律阿保機は建国後数年して自国の文字を漢字を参考にして表意文字で創案し、神冊5年9月(920年)完成し公布した。これが契丹文字である。しかし使用してみるとこの文字は契てつらつ丹語の表記に不便なことがあったので、太祖の弟迭剌がウイグルの使者から表記法を学んで表音文字を創作した。前者を契丹大字、後者を契丹小字と呼ぶ。こうして耶律阿保機は自国の文字を創った。この文字は遼の滅亡後も金の時代になっても使われたが、金の章宗の明昌2年1191年に契丹文字の使用を禁止した法令が出されるまでこの文字は生き続けた。金は中国東北地方東部から沿海州を原住地とするツングース系の民族で10世紀以降は遼の支配下にあったが、1115年ツングース系部族を完顔アクダ部の阿骨打が諸部族をまとめて金を建国した。金は1115年から1234年まで139年間存在したが、遼(契最後は宋とモンゴル連合によって滅された。建丹)国後しばらくは契丹文字が使われていたが、太祖完顔阿骨打は遼・西夏のように自国の文字が西金(必要だとして文字を作った。これを女真文字と夏女真いう。1119年に発表した。以降約20年この文字)が使用され続けたがやはり表記に不都合があり1138年に補助文字を創った。前者を女真大字、後者を女真小字という。この遼、西夏、金いづれも漢字を擬して作った文字であった。この三つの国が存在した時代の勢力支配の地図契丹・西夏・女真文字文化圏(10?12世紀)図を示します。これは西田龍雄著「アジアの未解読文字」大修館書店1982年刊P129からの引用である。この中で特異な存在は西夏である。この時代はそれぞれ宋と深い関係があり、いづれの国も宋から強力な影響を受けていた。遼、西夏、金とも漢語と漢字がほぼ公用語に準じていたので、それぞれの国が独自性を発揮するのは難しい状況であった。西夏が存在した期間は、1032年から1227年まで195年間である。西夏はもともとタングート族(党項)の集団で、夏と呼ばれていたが、この夏の国王李徳明が1032年に死去し、その子李元昊が、その地位を引き継いだ。引き継ぐと同時に1033年、政治体制を宋の官制体系に準じて改編し、1036年軍の編成を見直し、夏の領土を確定する大改革を断行した。その後1038年李元昊は自らを皇帝と称し、夏を大夏と改称し、ここに建国を発表したのである。(大夏は宋の都から見て西側にある16