ブックタイトル富士181号 [特集]品質管理365日 今期の反省とまとめ

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富士181号 [特集]品質管理365日 今期の反省とまとめ

「重隆にあてはない。妻子をつれて備前福岡を出るときは寂しかったであろう」(司馬遼太郎『播磨灘物語』)備前国の田の口にある、由ゆ加が神社(現・倉敷市児島)の大鳥居の景観である。鳥居はかつて海中から聳えていたが、現在は埋め立てられ陸地に建っている。広重の頃は石鳥居だったようだが、現在は、日清戦争の勃発した1894年(明治27年)に奉納された備前焼の鳥居である。黒田家ゆかりの備前福岡は、源平時代以来、多くの名工を産んだ刀鍛冶の里で、「黒田一文字」と称された鍛えの佳さは、倭わ寇こう貿易を通じて中国まで知られたという。備前福岡は大いに繁栄し、鎌倉後期の『一遍上人聖絵』にも描かれ、同時期の武将・歌人の今川了俊もその殷いん賑しんぶりを書き残している。近江黒田庄出身の牢人で、官兵衛の祖父・黒田高政は、備前福岡城の食客として生涯を終えた。宇喜多直家も当地の豪商の家で父・興家と居候していたという。戦乱は絶えず、野や盗とうや一揆もあり、戦闘員や用心棒の需要には事欠かなかったのだろう。黒田家は、官兵衛の父・重隆の代で播州に移り住む。官兵衛の子・長政が筑前に封ほうじられたとき、城下を「福岡」と命名したのも、備前福岡が黒田家創業の地だったからだろう。備前(びぜん)田たの口くち海かい浜ひん 瑜ゆ賀が山さん鳥とり居い