ブックタイトル富士181号 [特集]品質管理365日 今期の反省とまとめ

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富士181号 [特集]品質管理365日 今期の反省とまとめ

安芸(あき)厳いつくしま島 祭さい礼れい之の図ず「宮島は厳島明神の社領で、芸州藩領に属しつつも一種の中立地帯をなしている」(司馬遼太郎『竜馬がゆく』)厳島神社は、「斎いつき島しまに祀まつれる神の社」という意味で、広島湾に浮かぶ宮島全体をご神体としている。ご神体である島の上は畏れ多いということで、潮の満ち引きする場所に社が建てられた。安芸守に任官された平清盛が平家の守護神として崇敬し、社殿を現在の姿に造営したという。1866年(慶応2年)6月に始まった幕府による第二次長州征討は、幕府の戦況が不利になる中、7月20日に将軍家茂が病没。将軍家を継いだ慶喜は「大討込」と称して、自ら出陣して巻き返すことを宣言したが、小倉城落城の報に衝撃を受けてこれを中止し、朝廷に働きかけ、休戦の勅命を発してもらう。この講和交渉にあたったのが、幕府側は勝海舟、長州側が広沢真さね臣おみ・井上馨かおるである。会談は9月2日に「中立地帯」の宮島で行われた。大任を果たした勝は、記念のために自分の短刀を厳島神社へ奉納した。無銘ながらも護もり良よし親王の御品という名品だったが、粗末な身なりで、「江戸の勝だ」としか名乗らない勝を神官は怪しみ、最初受け取ろうとはしなかった。十両の金子を添えるとようやく納めてくれたという。