ブックタイトル富士181号 [特集]品質管理365日 今期の反省とまとめ

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富士181号 [特集]品質管理365日 今期の反省とまとめ

周防(すぼう)岩いわ国くに 錦きんたいきょう帯橋「防長の山河は優しいのです。(その優美な中でも第一等の地は)この鋳す銭ぜん司じ村むらです」(司馬遼太郎『花神』) 日本三名橋・日本三奇橋に数えられる錦きん帯たい橋きょうは、全長約200メートル、幅5メートルの木造のアーチ橋である。第三代岩国藩主・吉きっか川わ広ひろ嘉よしの命で1673年(延宝元年)に建造された。しかし錦川に架かる橋は、出水により度々流失し、藩の財政に与える影響は深刻だった。約200メートルという広い川幅、急流になりやすい川の形状、そして川床には砂利が深く堆積し、そこに激しい流水に耐える橋脚を造ることは、当時の技術では困難だった。橋の施工は難航するが、転機になったのは、明から亡命してきた僧・医師の独どくりゅう立に、藩主広嘉が持病の治療を受けたことだった。ある日、独立の故郷である杭州の名勝・西せい湖こに話が及び、広嘉の希望で名所図会の『西湖志』を取り寄せると、そこには五つの小島にかかる小さなアーチ橋が描かれていた。これがヒントになり、現在の錦帯橋のアイデアが生まれたという。合理精神の塊である大村益次郎(村田蔵六)を産んだのも、こうした先取の国柄だろうか。大村が生まれた鋳銭司村は、現在は合併して山口市の一部になっている。