ブックタイトル国際印刷大学校研究報告 第19巻

ページ
20/44

このページは 国際印刷大学校研究報告 第19巻 の電子ブックに掲載されている20ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

国際印刷大学校研究報告 第19巻

18■国際印刷大学校研究報告第19巻(2019)の題字を木村嘉平が彫刻した説があると記している。(A)および(B)は、江戸の版木師である木村嘉平が長崎の印刷物制作に関与した可能性を想起させるが、木村嘉平と長崎を結び付ける記述は他の文献に見当たらない6。つまり(A)および(B)はそれぞれ孤立した記述であり、検討を要する。今後の研究の指針とするため、以下の課題を提示しておく。・(a)木村嘉平は長崎裁判所の「太政官訓諭」を彫刻したか・(b)木村嘉平は『崎陽雑報』の題字を彫刻したか(a)および(b)を検討する前提として、本稿ではまず歴代木村嘉平の略歴と各代の木村嘉平が手掛けた作品を調査・整理し、木村家の事績の全体像の把握を行う。■歴代木村嘉平に関する資料歴代木村嘉平の事績を正確に記したと期待できる資料として、以下の文献を検討する。(C)『日本書誌學大系13・字彫り版木師木村嘉平とその刻本』(木村嘉次1980年・青裳堂書店)同文献は木村嘉次によって1934(昭和9)年から1979(昭和54)年にかけて断続的に書かれた歴代木村嘉平およびその他の江戸の版木師に関する記録集である。1980(昭和55)年に九州大学・中野三敏助教授(当時)によって1冊の書籍としてまとめられた。記録者である木村嘉次は江戸の版木師の事績調査に40年以上携わった研究者であり、歴代木村嘉平の近親者でもある。五代目木村嘉平の長男であり三代目木村嘉平の孫、四代目木村嘉平の甥にあたる。従って(C)に記述されている事柄は、他の文献に比較して、明らかな誤記を除くと正確性の高い記録と捉えることができる。同文献は発表時期の異なる複数の小論が順不同で収められており、重複する記述がある。また相互に整合性がない個所がある。記述に整合性がない場合、合理的な解釈を行った7。(C)中で歴代木村嘉平に言及されている小論は5編である。初出の時系列順に並べると図1のようになる。右列の「掲載頁」は(C)における掲載ページ表す。■歴代木村嘉平の略歴資料(C1)~(C5)の記述から、歴代木村嘉平の活動期間および各代木村嘉平の事績の概略を整理する。・一代目木村嘉平 (生年??1823(文政6)年・没年齢不詳)1786(天明6)年に仙台から江戸に出て、神田小柳町に居を定め、版木師として活動を始めた。同居宅は1886(明治19)年に五代目嘉平が転居するまで100年にわたり歴代木村嘉平の工房として用いられた8。出版文化の隆盛を背景に、曲亭馬琴の版本を手掛けたほか、著名文人・書家の教本、書論を多く彫刻した。このことから、名工と認知されていたとされる。・二代目木村嘉平(鴨渓堂) (生年??1840(天保11)年・没年齢不詳)京都生まれ。幼少期に養子として迎えられて二代目を襲名した。米庵ら書家の作品を精緻に彫刻して評価を得る一方9、国学者・平田篤胤と交際を持った10。しかし義太夫節に凝り、京への帰郷を繰り返したため、木村家の家業は衰微したとされる11。四男二女をもうけたが、このうち4人を失った。三男・房義が三代目木村嘉平を襲名した12。・三代目木村嘉平(房義・房吉)(1823(文政6)年?1886(明治19)年・64歳没)